【20代で6社を転々】医療系サービスエンジニアの転職体験談

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私のプロフィールですが、以下の様に各記事に掲載しています。

ただし、このプロフィール・・・ホントに?って思いませんか。

このプロフィール、怪しいポイントだらけ
  • 社会人13年で会社転々として役職就いてないってコトは仕事デキない人でしょ?
  • 会社を辞めて入ってを繰り返した人の話なんて信用していいの?
  • 現役の医療機器サービスエンジニアなのに何故記事を書く?
  • 営業と設計経験してるのに何故またサービスエンジニアに?
  • 医療機器メーカー6社を転々って、そんな簡単に転職出来ないでしょ?
  • 1つのメーカーで勉強したことをそんな他社に活きるなんてこと無いでしょう。

私自身どういった職歴で、どんな人物か知ってもらうべく私の経歴をまとめました。私自信職場を転々とした経験を活かし、現在は最前線で活躍するサービスエンジニアとして働いています。

現代社会に於いては転職するのが当たり前になってきたこの時代。稀有な職歴ですが、こんなキャリアもあると言うことでまとめてみました。

私の特定されない程度に少量のフェイクを混ぜていますが、大筋変わりません。

記事の内容

1社目:入社前から波乱があったA社

理系の専門学校を卒業しそのまま以下の様な医療機器メーカーに就職しました。

項目詳細
会社概要内資企業のグループ子会社
営業所数全国に営業所が14ヶ所程度
事業内容サービスエンジニアとして自社製品及び他社製品医療機器のアフターサービス
従業員数約100名〜500名程度
主な顧客病院を初めとした各医療機関
取扱い製品群臨床検査機器を中心にその他の製品も担当。
当時の年収約360万円
在籍期間半年

私が新卒入社した時期はリーマンショックの影響がまだ残っており、どこも不景気の時代。もらえるボーナスも寸志でした。

そんな不景気の中でも入社先が大手企業の傘下のため研修制度が充実。たっぷりの経費で3ヶ月間研修を受け、社会人として良好なスタート出来ました。

当時の私の役割は「雑用」

理系の専門学校を卒業し、充分な研修を受けた私。”即戦力として働けるだろう!”信じて地方の営業所に配属されましたが、一ヶ月後には雑用係になっていました。

分かった気になっていただけで、失敗の連続です。

新卒時代にやらかした失敗
  • 見た目で部品を判断して取り付けたら全く違う部品だった。
  • 修理のアポイントをすっぽかす。
  • 装置内部に雑巾を置きっぱなしにして、それが不具合の引き金に。
  • 不具合要因を勘違いし、全然関係ない部品を交換して顧客に請求書を送る。
  • 保守契約締結状況、自社負担で高額修理。
だっと

この失敗をフォローしてくれた同僚には頭が上がりません。

この後、私はひたすら雑用をこなし、雑用をしているだけでこのA社での社会人生活を終えることになりました。

一社目を離れたのは会社都合。

A社に入社する1ヶ月前。5人の入社予定のメンバーが招集され、社長と人事の合計7名の”顔合わせの前の食事会”に参加し、以下の話がありました。

社長

この会社買収されたから近い将来外資になるよ

だっと

(え、ええー・・・)

人事の人

一応入社前だから内定辞退すると職歴に残らないけど、どうする?

だっと

(いやいや、もう社会人1ヶ月前に就職活動なんて無理でしょ

以上の流れで入社する前から外資(後述のB社)になることは決定していました。

食事会終了後に入社予定の5人と喫茶店で話し合い、不安を抱えながらもA社に入社を決定。しかし、その内の3人は早々に退職しました。理由としては以下の通り。

退職した理由
  • 外資だったら実力主義で仕事出来ない人は退職させられる。
  • 内資企業で医療系の会社だから飛び付いたのに、不安定な外資になるなんて聞いてない。
  • 見ず知らずの会社よりも誰もが知っている会社でカッコよく働きたい。

このブログが始まったのはこのA社の経験があったから

前述の通り多くの失敗を続けた新人の私。見限られるのが普通かと思います。しかし、人数少ない営業所でありながら、時には厳しく、時には優しく私を育ててくれた同僚には恩があります。

きっと世界の何処かに”新卒時の私”と同じ様に悩んでいるサービスエンジニアがいるかもしれない。そんな人達に助けになればと思い記事を書いています。

だっと

思い返してもこの時が一番職場環境に恵まれた時代でした。

2社目:不本意ながら外資勤めになったB社

メンツは変わらないものの、そのまま買収された企業のサービスエンジニアとして働くこととなりました。

項目詳細
会社規模外資企業の輸入製品
営業所数全国に営業所が20ヶ所程度
事業内容サービスエンジニアとして自社製品及び他社製品医療機器のアフターサービス
従業員数全国で約200名〜500名程度
主な顧客医療機関や研究機関等
取扱い製品群A社の製品群+B社の臨床検査機器
当時の年収約400万円
在籍期間1年半

事業を買収されたので、転職ではなく転籍扱いでB社へ。既存の社員がそのまま別会社に合流した様なイメージです。

特定の製品群は強いシェアを握るB社。それ以外もあまりにも扱う製品が幅広く、特定の業界が下火になっても食っていける程度には事業内容に保険が効いていました。

いい面があったけど、徐々に悪い面が浮き彫りに

しかし、外資に吸収された後のA社の面影は徐々に薄れていき、B社への不信感が溜まっていく事件が続きます。

STEP
経費やコストにうるさくなった

私が覚えている限りで以下の通り、コスト。

  • 以前まで長距離出張や宿泊出張の日当が廃止に。
  • オフィスが安く狭いビルへ引っ越しに。
  • 拠点で持つ部品在庫を半分に減らす要求。
  • 社用車を減らし、必要に応じてレンタカーや公共交通機関。
  • 支給されたPCや工具等の資材が全て中古。
STEP
給与体系が不透明

給与は以前と変わらない水準を維持すると説明されていましたが、同僚の昇給幅は悪くなりました。そして、以前からB社に所属している人達は給与水準が違うことが分かりました。明らかにA社出身者と違う給与テーブルだったのです。

それを隠されていたこともあり、B社への不信感は高まっていきました。

STEP
現場主義から組織主義へ

A社ではとにかく顧客に喜んでもらえるサービスの提供を最優先で取り組んできました。その甲斐もあり競合他社との敗戦はほぼ無し。しかし、B社では売上が最優先。とにかく金銭で評価する企業でもありました。

だっと

金払いが良い医療機関は敢えて保守契約を結ばないようにし、都度有償請求する請求水増しテクニックもありました。

当時の私の役割は「雑用」から一歩進んだ

当時やっていた事としては以下の通り。

  • 部品の在庫管理。(点数チェックや発送、受取等)
  • 組織の機関システムの翻訳(当時はgoo翻訳が手放せません。)
  • 伝票のファイリング作業(当時は全て紙とデータの両方で管理。)
  • 電話応対(コールセンターが無く、事務所に全ての電話がかかってくるので留守番)

そして、これらの業務に加えて少しずつ現場の仕事を任される様になりました。

だっと

自身がコツコツとレベルアップしていく過程が嬉しかったのは今でも覚えています。
これも全てA社でお世話になった同僚のおかげです。

そんなB社で働くのも終わりを迎える

社長が「若手メンバーの働いている所感のリサーチ」と言う名目で全国各地の営業所巡りにきました。そんな時に以下の話がありました。

社長

B社に合流した今の収支で全社員の雇用は難しい。
未来ある若手の可能性を潰したくない。
その為、A社の時の請負っていた取引先に働き口を用意した。
そちらで働く気は無いか。

だっと

少し考えさせてください

社長

構わないが、この場で返事しないと間に合わないんだ。
一緒に待ってあげるからこの場で結論を出してくれ。

だっと

(え、えぇ・・・嘘でしょ・・・)

なんて行き当たりばったりな経営なんだ!と思いました。今思い返すと、この若手切りも社長が元々考えていたプランだったかもしれません。

社長に諸々条件を出し、社長から合意をもらったままC社への転職が決まりました。

3社目 : 最も緩やかな時間を過ごしたC社

13年間働いてきましたが、最も緩やかな時間を過ごせたC社です。会社としては以下の通り。

項目詳細
企業概要内資企業の子会社
営業所数全国に営業所が16ヶ所程度
事業内容医療機器の開発、製造、販売、アフターサービス
従業員数全国で約1000名〜2000名
主な顧客医療機関や研究機関等
取扱い製品群A社で請け負ってた医療機器製品+ライフサイエンス系
当時の年収約360万円
在籍期間半年

特定の業界においてはシェアNo.1を握るメーカー。新卒入社したA社で既にC社の製品は概ね取り扱っていたので、研修も最低限度で終了。そのまま地方へ配属に。

給料が全然増えない

これまで社会人として3年働き、ある事に気づきます。それは給料が増えていない事。

要因としては以下の3つです。

  • まともに昇級評価を受ける機会がないまま会社を移っていった。
  • 転籍先では年齢で給料テーブルに当てはめられる為、経験者採用の割に給料が少ない。
  • C社がホワイト過ぎて残業出来ず。残業代が無くなり、手取りが減った。
だっと

人によっては羨ましいと思うかもしれませんが、当時の私は20代の働き盛り。
バリバリ働き、お金を稼ぎたい意欲が強く出ていました。

しかもC社は社員数が多いこともあり、昇格枠を奪い合う出世競争に全社員の目が血走っていました。

C社での顧客対応はほとんど無くなった

幸い製品の故障が少なく、顧客対応もディーラーや外注業社への指示出しがメイン業務でした。よっぽど大きなクレームにならない限り顧客対応することは無い企業でした。

当時は製品カタログスペックの暗記、医療知識や主義の記憶、学術論文の読み解き等座学を中心に知識を蓄えて、顧客対応に備える日々でした。

そんな平穏なC社も半年で終了。

内部組織の変更があり、新設されるグループ会社のD社への出向を命じられました。当時の人事とのやりとりは以下です。

だっと

いやいや、そんな話聞いていないんですけども

人事の人

B社の社長とは新設するD社に移ってもらう事を条件にC社に移ってもらう事になっていました。聞いていませんでしたか?

だっと

(いや、だから聞いてないって・・・)

そんな詳細の説明も無かったので、改めて確認を取ろうとB社の社長に連絡を取ると既に辞任した後。汚い。流石大人汚ない。

拒否するとそのまま会社に居られないことを告げられ、当時の私は「もう長い物に撒かれるしかないな」と諦めて承諾しました。

4社目 : 急成長を実感したD社

過去振り返ると一番成長したのがこのD社です。

項目詳細
企業概要内資企業の子会社(C社と同系列)
営業所数全国に営業所が8ヶ所程度
事業内容医療機器の販売、アフターサービス等の商社
従業員数約1000名〜2000名
主な顧客医療機関や研究機関、一般企業等
取扱い製品群C社で扱っていた別の医療機器製品
当時の年収約400万円
在籍期間3.5年

私が入社した直後に発足したC社と同じ親会社の傘下企業です。

出来立ての子会社ということもあり、社内システムはぐちゃぐちゃ。入社1年目はサービスエンジニアであるにも関わらず、営業の仕事も兼任させられました。

当時の役割は超絶プレッシャーのエリア担当者

入社当初の私の役割は以下の通りです。

D社での私の役割
  • 営業所がもつエリア全域のサービスエンジニアとしての活動。
  • 最初の1年は以上に加え、営業マンが回り込めないごく限られた数施設の営業。
  • 営業5、6人とタッグを組んだサービスエンジニアとしての活動。

キャリアと実力を評価されてエリアを持ちましたが、配属された営業所は日本を代表する医療機関が点在するエリア。エリアを前任者から引き継いだものの、要求される業務量と対応の波に飲まれ失敗続き。

このままでは無理だな・・・と会社でやっていくため、以下の様な働き方に手を出しました。

定時(8:30〜17:30)
終業後(17:30以降)
  • 自エリア以外の修理・点検の請負い。
  • 予定が無ければ自エリアの客先への顔出しと製品評価のヒアリング。
  • 消耗品類の納品。
  • 商談の調整。
  • 昼間に依頼受けた見積書や入札関連書の作成。
  • 技術情報の閲覧及び持ち帰った宿題の調査。
  • 修理作業のデータベース入力。
  • 部材の発注処理。
  • 修理部品の在庫管理。
  • 他の営業から依頼のあった問合せの解答。
  • 薬事法(現:薬機法)に関する勉強。
  • 公正取引に関する勉強。

一言で表すなら「昼間は全て現場の予定を詰め込んで経験を積み、夜は後回し可能な内勤処理をこなす」でした。

残業管理はC社ほど厳しくは無かったが、年間360時間を超過しない”36協定”なるものが存在し、年間360時間超過しない様に調整を求められていました。

営業を経験した感想は「医療機器の営業はやる事が多い」と言う事。

D社の1年目はサービスエンジニアと営業を兼任した経験がありますが、想像以上に営業活動以外の顧客対応が多い。

営業活動以外の顧客対応
  • 製品トラブルの対応。(何故かコールセンターでは無く営業へ直接掛けてくる)
  • 消耗品類の緊急配達。(ディーラーに在庫が無いパターン)
  • 消耗品交換の代行。(コンプラ違反)
  • 代替品の貸出し、返品。
  • 製品の取扱い指導。
  • 学会のアテンド。

これら以外にサービスエンジニアの仕事も兼任していた為、当時振り返っても地獄の1年でした。

後に部長が「やっぱり無理だね!やめよやめよ!」となってサービスエンジニア専任となりました。

だっと

因みに営業時代の成績は余裕の数字未達でした。
美味しいエリアは他の営業が持っていましたからね・・・

急成長した私は営業所の顔になった

20代後半に差し掛かる頃。無茶な働き方をした結果、最後の1年は最年少ながら営業所のトップレベルに上り詰めました。

中々数字で表せないサービスエンジニアの実力ですが、当時の私は以下の通り数字で表せる実績を獲得しました。

当時の主な功績
  • 重大クレーム発生0件。
  • 点検受注数/売上全国No.1。
  • 緊急修理抑制件数全国No.1。
  • 再修理発生抑制率全国No.1。
  • 業務改善に取組み、タッグを組んだ営業が過去最高益を叩き出す。

これだけの功績を出したんだから「昇給評価されるだろう」と思っていました。しかし評価はBで「普通より少し頑張りました」程度。

上司に問い詰めたところ、「これ以上の評価を受けるには会社の売上へ多大に貢献できるインパクトある活動が必要」と言われました。営業と違って売上出せる仕組みを持つ部署じゃ無いんですよアフターサービスは!

だっと

プライベートを犠牲にし、誰よりも努力した私。モチベーションが無くなり、無力感と燃え尽き症候群に襲われ、これ以上何をやれば良いのかと、働き方が分からなくなりました。

4社目にして自力の転職を決意

D社もそれなりに強い商材を扱う企業です。これまで長いものに巻かれてきた私は「このまま所属しても良い」気持ちがありました。

しかし、前述の通り最後の1年で燃え尽きた私。以下を理由に転職を決意します。

自力で転職を決断した理由
  • 自身の全力を出した1年を評価されなかった事実を受け止められなかった。
  • 私の給与テーブルは大卒の新卒入社同等で明らかに見合った評価ではなかった
  • そもそもサービスエンジニアはやりたい仕事ではなかった
  • 20代の内ならキャリア方向転換が容易だから一度は自分のやりたい仕事をやりたい。
  • 学生時代に見つけた理系の知識は全て開発設計職に就くための勉強
  • 既存の製品を修理するのではなく、作り手側の立場で世の中の役に立ちたい
  • 企業の都合で会社を転々とさせられるのにはウンザリ。人扱いされていない気がしてきた。

じっくり時間かけて上司に相談しながら転職に踏み切りました。

一度私の評価を取り下げ、「特例で昇格させる」なんて話もありました。
しかし、当時の私は上司の言葉を信用できず、そのまま在籍していても「特例でさせたんだから無理して働け」と、こき使われる事を目に見えていた私は断りました。

だっと

普段から正当な評価があれば退職しなかったと思います。
退職を繋ぎ止める為に特例昇格なんて人をバカにしている様なものです。

5社目 : 念願のやりたい仕事に就けたE社

ようやく私はA社〜D社の呪縛を振り払い、全く関係無い別メーカーへ転職しました。

項目詳細
企業概要内資企業の親会社
営業所数0(営業部隊は別の子会社)
事業内容医療機器の開発、設計、製造
従業員数約1000名〜2000名
主な顧客医療機関や一般企業等
取扱い製品群医療機器製品他多数
当時の年収約400万円
在籍期間3年

私の役割はクリエイティブな先進開発

念願の開発設計職に就いた私の役割は新製品の設計開発。基礎技術の開発や実験・実証、E社が持つ既存技術を応用させ新製品の軸になる部署に所属していました

具体的な業務としては既存品の買い入れ、買入れ部品の検証、特許の申請原案作成です。この業務を通して以下の様な多くの技術を身につけました。

身についた主なスキル
  • 3D CADの基本的なスキル。
  • 商品設計する上での加工限界や材料特性。
  • 耐久性を考慮した機械設計。
  • 3Dプリンターの使い方。

E社はとある業界ではパイオニアとされ、新たな時代を切り開くアイデアを詰め込んだ製品が売りの企業。新しい技術開発の為に最新の設備をいち早く導入していました。

想像と違った開発の現場

自分の目で見た開発の現場は開発も手一杯だと言う事でした。

これまでサービスエンジニアとして現場で仕事をしてきた私。新製品出るたびにバグを抱えて発売される事に苛立ちを覚えていましたが、見ていた景色は変わりました。

実際の開発の現場
  • 想像以上のコストカット
    • 3D CADがギリギリ動く中古PC。
    • 開発や試作するスペースが省スペース。
    • 設計部隊の半数が派遣。
    • 買入れ電子部品の大半が中国製。
    • 開発の労働時間が製品価格にも反映される為、労働時間の効率化。
    • 開発設計段階で耐久性を考慮した設計に関わらず原価カットの為に安価な部品への切替え。
  • 製品開発の原案を作成するマーケティング部や営業職制等の無茶振り。
    • 無理な製品仕様
      (ドラえもんの道具か?ってぐらい無茶な構想)
    • 実現不可能な価格設定。
    • 米国の大手産業メーカーがやる様な技術構想。(もちろん無理)
  • 想像以上のスピードで販売に向けた動き
    • 出来上がった製品は24時間試運転してはデバッグと改善の繰返し。
    • 納期が決まっており、大体がそれに向けてひたすら開発の時間。
    • チーム開発が主流だが、大体コミュ障だらけで連携が上手くいかない。

私が見た設計開発の現場はこの1社だけで在籍した時間も短期間。しかし開発設計の現場を知るには十分な時間でした。

  • なぜ完全でもない90点の製品を市場に流すのか。
  • なぜ現場の人間にあれこれ気安く依頼してくるのか。
  • 何故顧客目線で製品が作られていないのか。
  • 耐久性が不十分部品を取り付けるのか。

全ては競合他社に負けないようにいち早く新製品を出し、安価な製品で顧客に満足してもらう為。市場に100点満点の製品を売出すには時間も原価も見合わず、販売後に改良するケースが多いです。

だっと

身近な産業に自動車がありますが、販売価格は原価に見合わないと言われています。
一般消費者向けに製造される自動車ですらあの価格ですから、特定の顧客向けの業務製品なんて90点の製品でも高額になって当たり前です。

くーま

新製品1台目を購入する顧客から「ウチは試作品に大金支払ったんですか?」と言われる事もありました。
ごもっともな意見ですが、昨今の技術改革の前では販売段階で誰もが満足できる100点満点の製品を出すのは厳しい世の中です。

そんな念願の開発設計職も退職へ

念願のやりたい仕事に就けた私ですが、退職する事になりました。理由としては以下の通り。

退職に至った経緯
  • 未経験転職の為、年収が減り生活が苦しく。
    • やりたい仕事を選んだ弊害。給与テーブルも第二新卒と同等。
  • 人事再編に伴い、営業部隊の会社へ出向する事に。
    • 元々業績も右肩下がりだった為、リストラの波に飲まれました。
  • D社で一緒に働いていた先輩からのヘッドハンティングを飲んだ。
  • 長年サービスエンジニアとして身につけたスキル活きず、勿体無いと感じていた。

このままだと給料が安いままサービスエンジニアとして働く事に。既に長いものに巻かれることを辞めた私はD社時代の先輩から誘われた会社へ転職することを選びました。

だっと

退職してから数年後、私の成果物を引き継いだ設計部は製品化し無事発売されました。
最後まで関われなかったのは悔やまれますが、良い経験をさせていただきました。

6社目 : 今現在働いているF社

元々D社で一緒に働いていたある先輩は私を大きく評価してくれていました。そんな先輩は私より早くF社に転職し、人手不足になったことから誘って頂けました。

元々開発設計職で働けていた私は断り続けていました。しかし、サービスエンジニアとして再び働くなら高給で雇ってくれるとのことで紹介を飲みました

F社へ入社し、20代で6社目になりました。

項目詳細
企業概要外資企業
営業所数3(営業所が無い地方はほぼ在宅)
事業内容医療機器の輸入販売、アフターサービス
従業員数約100名〜200名
主な顧客医療機関や研究機関、一般企業等
取扱い製品群医療機器製品他多数
年収600万円超
在籍期間〜現在

現在の私の役割

これまでの経験が活き、若手の中でもトップの成績を誇るサービスエンジニアとして働いています。

毎日が余裕ある業務量・・・とは言いにくいですが、これまでの辛い経験が現在活きてホワイト企業とすら思えるレベルです。

営業と開発設計の職に就いた経験から視点が広がりました。これも顧客目線かつメーカー目線と幅広い視点で物事を見れる様になり、良好な人間関係を構築しています。

おそらく私以上に濃い職歴のサービスエンジニアは居ないと自負すらあります。

長年サービスエンジニアとして働き、やりたくない仕事と思っていましたが、今となっては天職とすら思っています。このまま役職に就かず現場に出続ける事を選ぶ事でしょう。

だっと

中間管理職楽しそうに見えないんだもん・・・

まとめ

読んでわかる通り、20代を非常に濃い経験をまとめました。冒頭の疑いの意見を払拭できたのではないでしょうか。

怪しいポイントへの回答
  • 社会人13年で会社転々として役職就いてないってコトは仕事デキない人でしょ?
    • 自ら中間管理職にならない様に業務実績をコントロールしています。
  • 会社を辞めて入ってを繰り返した人の話なんて信用していいの?
    • 転々としましたが、その先々で業務に全力を注いできました。
      信用できる程度に職歴を開示したつもりでいます。
  • 現役の医療機器サービスエンジニアなのに何故記事を書く?
    • 1社目の同僚の恩をこのブログの読者に還元したいのです。
  • 営業と設計経験してるのに何故またサービスエンジニアに?
    • 他職種を経験したからこそ天職と思っているからです。
  • 医療機器メーカー6社を転々って、そんな簡単に転職出来ないでしょ?
    • ご覧の通り、自力で転職したのは1回?です。
  • 1つのメーカーで勉強したことをそんな他社に活きるなんてこと無いでしょう。
    • 様々なメーカーを転々としてきたからこそ普遍的なノウハウを蓄積して来ました。
      それをこのブログでこれからも書いていきます。

転職を繰り返す人をよく思われない時代に私は社会人になりました。私の親も会社を転々した様子を見て心配していました。

サービスエンジニアと言う仕事は恐らくここまで過剰な努力しなくとも働ける仕事ですが、そんな仕事で私はNo.1を取りたく全力を注いできました。

そんな私のノウハウをこれからも執筆して行こうと思います。

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